灰汁抜(あくぬけ) 2008 1 5

 市場の一部には、依然として、
アメリカの大手金融機関に関する金融不安の噂が流れています。
それは、一般的には、根拠のない噂に過ぎないと言われていますが、
そういう流れで、決算発表が気になる投資家たちもいるでしょう。
 現在の心理状態では、何事も悲観的に考えてしまうでしょう。
投資家というものは、楽観的になると、過度に楽観的になりすぎる。
一方で、悲観的になると、過度に悲観的になってしまうものです。
投資家には、そういう傾向性があるのです。
 私は、そうした悲観的な意見には賛成できませんが、
一種の思考実験として、最も悲観的な意見を採用したとします。
それに対して、多くの人が考えることは、
「大きすぎて、つぶせない」ということだと思います。
それが、常識的な考えでしょう。
 かつて、日本では、2003年に、りそな銀行に対して、
巨額の公的資金注入がありました。
それは、「大きすぎて、つぶせない」という考えだったと思います。
 今後も、アメリカの金融業界では、「地震」があるかもしれませんが、
それは、「悪材料、出尽くし」と考えていくべきでしょう。
あるいは、「灰汁抜(あくぬけ)」と、前向きに考えましょう。
 投資家が、最も嫌うのは、悪材料を小出しにすることです。
こういうことは、保身に走る経営者がよくやることですが、
これでは、投資家に、強い不信感を持たれてしまいます。
 企業としての知名度があり、体力があるならば、
悪材料は、隠さず、全部、公開する。
そういう姿勢の方が、投資家には、好感されます。
投資家は、「これで、悪材料、出尽くし」と考えるからです。
 「灰汁抜(あくぬけ)」
この言葉には、多義性がありますが、取引用語では、
「悪材料が出尽くして相場が回復に向かうこと」という意味です。

oil money 2007 12 16
 サブプライム金融危機によって、場合によっては、
欧米の金融機関が経営危機に見舞われる可能性があると思います。
 そこで、言いにくいことですが、
「政府による公的資金注入」ではなく、
「オイルマネーによる大規模な公的資金注入」を検討すべきだと思います。
あるいは、「オイルマネーによる救済基金」も考えるべきです。
産油国は、「筋違いも甚だしい」と言うかもしれません。
 確かに、私は、今の金融システムが、ベストだとは思っていません。
いやベターだとも考えていません。
 しかしながら、ドルを中心とした、
現在の金融システムが崩壊すれば、
一番損害を受けるのは、産油国だと思います。
 私が、このようなことを書くのは、心苦しく思いますが、
今、思いつく解決策は、これぐらいしかないのです。

中東のドル 2007 11 24

 「中国のドル」だけを注目してはいけません。
「中東のドル」にも、十分注意を払う必要があります。

「週刊エコノミスト 2007 11/6」には、このような記事があります。
「オイルマネーが米国の命運を握る?」
「湾岸諸国の通貨切り上げで、ドル暴落も」
「米国の利下げで、中東湾岸諸国のドルペッグ維持は、困難になっており、
通貨切り上げで、ドルが暴落する可能性が高まっている」
「中東湾岸諸国にとって気がかりなのは、
特に米国の景気減速と金利政策の影響だ。
米国は9月18日、政策金利であるフェデラルファンドレートを0.5%引き下げたが、
ドルペッグ維持のために米国の利下げに追随すれば、
過剰流動性に拍車がかかり、インフレを加速させる。
さらにドルペッグを維持すること自体も、
ドル安が進めば欧州などから輸入インフレを招く」

後の祭り 2007 11 25
 今日もまた、日本のバブル崩壊後(失われた10年)について、
話をすることにしましょう。
 金融システムは守らなければならない。
しかし、結果的には、金融システムを守ることはできない。
 今でも、よく言われることは、
バブル崩壊の初期の段階で、つまり1992年に、
当時の宮沢首相が、不良債権問題を一掃するために、
公的資金を10兆円程度投入すべきであると主張したことがあったと思います。
 しかし、この話は、いつの間にか立ち消えになったと思います。
それは、当時、住宅金融専門会社に対する、
7000億円程度の公的資金投入ですら、世論が大騒ぎとなっていたからです。
 当時の雰囲気では、やはり貸手責任論というものが非常に強く、
7000億円程度の公的資金ですら、非難の的になっていたのです。
ましてや、10兆円の公的資金など、口が裂けても言えない雰囲気だったのです。
 今から思えば、1992年に10兆円の公的資金投入を断行していれば、
「失われた10年」にはならなかったでしょう。
そして、日本のバブル崩壊後は、軽傷に終わった可能性があるのです。
 どうして、そういうことができなかったのか。
それは、ひとつには、こういうことが原因だと思います。
 知識人ですら、
「政治や社会のことは、よくわかる。
しかし、経済は、わかりにくい。
さらに金融システムとなると、さっぱり、わからない」ということです。
(これは、日本だけでなく、世界各国に共通した現象です)
 知識人ですら、こういう状態ですから、
ましてや、一般大衆に、金融システムの重要性を理解してもらうのは、
極めて困難なものとなります。
 そういうわけで、「金融システムは守らなければならない。
しかし、結果的には、つまり政治的には、金融システムを守ることはできない」となるのです。
 すべては、後の祭りなのです。
あの時、1992年に、公的資金を10兆円程度投入していれば・・・・・。

















































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